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下村博文が奨学金を給付型に変えた理由

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なぜいま「給付型奨学金」なのか?奨学金制度の変遷に見る、その必要性

 

ここ数年、奨学金制度の議論が注目を集めている。先の参議院議員選挙では、主要政党すべてが奨学金制度の拡充や給付型奨学金の創設に言及した。また、自民党公明党の作業部会は、一部学生を先行的に対象とした給付型奨学金2017年にも導入することで合意し、制度案をまとめた。

 

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現在では当たり前のように議論されるようになった「給付型奨学金の導入」だが、こうした議論が始まったのはつい最近のことだ。十数年前には、有利子貸与の拡大が重要視されていた。こうした議論の変遷に応じて、日本の奨学金制度は今までに「2度の変化」を経験してきた。

 

今回の議論は、まさに「3度目の変化」だ。奨学金制度の歴史的変遷を追うことで、今回の変化の重要性を確認したい。

奨学金制度の変化は、1984年に始まる奨学金事業の「金融事業化」の方針変更と言えるだろう。大きな変化に踏み切った現場担当者や政府関係者、訴えを続けた市民団体など、さまざまな方の努力が実った形だ。

 

政府として大きな貢献を果たしたのが、下村博文前文部科学大臣だ。下村氏は大臣在任中の2014年に、学生への経済的支援の在り方に関する検討会を開催し、「学生への経済的支援の在り方について」という報告書の中で無利子貸与制度の拡充や給付型奨学金の創設を明記していた。公的な文書に掲載されたことの影響は大きい。下村氏自身、9歳のときに交通事故で父親を亡くし、あしなが育英会奨学金を借りて苦学した経験を持つ。困難に陥った学生の思いがわかる下村氏だからこそ、実現できた一歩と言えるだろう。

 

下村博文氏自身も奨学金に助けられた過去

余談ではあるが、奨学金を給付型にする政策を勧めたのは下村博文文科相であった。

下村博文文科相は自身のWEBサイトでも記述されているが、小学生の頃父親を亡くした下村氏自身が奨学金に助けられていたのだ。以下下村博文氏のWEBサイトから引用

昭和45年に私は高崎高校に進んだ。群馬県下でも有数の進学校だったが、どうしても高崎高校へ行きたくて中学三年生の時は必死で勉強した。入学試験はクリアしたが直面する問題はやはり学費だった。公立とはいえ母の収入だけでは無理があった。だが、どうしても学びたい、進学したいという熱意に母が押された。

「公立ならなんとかお金を出せる。でも高校まで」と言った。

ところがここで私は交通遺児育英会と出会う。
交通遺児に対して奨学金を出すこの制度はちょうど私が高校一年生の時にスタートし、学校の紹介で奨学金を受け取ることになった。交通戦争が社会問題化し、父親を失った子供たちの支援が必要になってきていた頃である。同時に日本育英会の特別奨学金も受け取ることができた。当時は給付制があった。奨学金があったからこそ、苦しい中でも安心して高校時代を送れたのだった。

その仕組みを作っていくのが、もしかすると政治の仕事なのではないか。私が、自分の中に「政治家になりたい」という目標を持ち、中でも「教育」という環境を整備して行きたいという気持ちを持つようになったのは、こうした苦しい数々の実生活が影響していると思う。

そしてもうひとつは学ぶことは権利であるということ。進学もままならぬ境遇にあった私は常に自分の中で、
「学びたい、学べる権利が自分にはあるはずなのに」
という気持ちが燻っているのに気づいていた。
恐らく逆境の生活の中にいなければそんな気持ちは湧いてこなかったろう。当たり前に公教育があり、当たり前に学校に通うことができる…。それができない者にとっては限りなく羨ましいことなのだ。

国も公教育をいつしか淡々と義務としてこなし、学ぶ側も義務としか思わない。
しかし、違う。
誰にでも望む場所で望むような形で学べる権利がある。私の心からの叫びだった。言い換えれば、教育の選択の自由と言ってもいい。だからこそ、それに応えるために教育はもっともっと多様であっていい…。
これらの教育に関する考え方は、実際の体験に基づいているからこそ私は胸を張れる。さらに言えば、教育という分野ひとつとってもそうだが、経済的、社会的ハンディキャップを負っている人たちに対して、機会の均等はやはり社会が保証すべきである。

 このような想いから文科大臣を目指し、誰もが機会均等の教育を受けることができる世の中を作ろうとしたのである。

 

奨学金における4つの論点

そもそも奨学金制度には、4つの論点が存在する。

 

1つ目は、受給基準だ。「ニードベース(奨学)」と「メリットベース(育英)」の2つがある。「ニードベース」とは、学生個人の必要性に応じて奨学金の受給や金額を決定することを指す。例えばアメリカ連邦奨学金制度では以前、受給の判断に「資産テスト」として持ち家の有無を判断していたが、これはニードベースの受給基準と言える。一方、「メリットベース」は学生個人の能力や特性で受給基準を定めることを指す。学業成績が最も一般的な例だ。

 

2つ目は種類で、「給付」と「貸与」に分けられる。貸与は一般に「学生ローン」と呼ばれ、「有利子」と「無利子」に分けられる。ローンとはいえ、他のローンとは特色が大きく異なる。例えば住宅ローンと比較すれば、

・担保がない

・金額が少ない(貸し手の利益も少ない)

・収益が上がる保証がない

といった特徴が浮かび上がる。借り手もリスクを負うことになるため、教育の社会的意義も鑑みれば、公的制度が必要になることが分かる。

 

3つ目に受給決定時期が挙げられる。大学決定以前であれば進学決定に奨学金は大きな効果を持つが、大学決定以後の場合、奨学金をあてにすることのリスクが大きくなる。

 

最後は、対象と金額である。限られた予算の中で、広く浅く支援を実施するか、狭く深くにするかは、政策的な判断が大きい。

 

この4つの論点に加えて、教育費負担の問題も重要な観点となる。教育費負担は大きく「公費負担」と「指摘負担」に分けられる。私的負担は、更に「家計負担」と「民間負担」に分かれる。

 

このように論点が多岐にわたるため、各国の奨学金制度は全く異なる様相を示している。さらに、同じ国の中でも、時代によって制度は異なる。

 

その根拠として最も大きく反映されるのは、各国の「社会環境」だろう。例えばヨーロッパは、近代大学の多くが国家のエリート養成がその任務と考えられていたことから、無償ないしは低授業料政策からスタートしている。また、学生を「家族の庇護を受けている子ども」と考える東アジア諸国は家計負担の割合が大きく、「責任ある市民」とみる北欧諸国は公的負担の割合が大きい、といった研究もある。

 

では、日本ではどのような「社会環境」のもと、どのような制度が確立されていったのだろうか。

日本育英会の創設と公的奨学金制度のはじまり

日本における公的奨学金制度が確立したのは、1943年の財団法人大日本育英会の設立に遡る。国民学校から中等教育過程に進学する成績優良な者を対象としていた。翌年には大日本育英会法が施行され、特殊法人に改組する。戦後は高等教育機関への進学者に対象が変更され、1953年に教育職・研究職への返還免除制度が設けられた。

 

1958年には、特別貸与奨学生制度が成立する。日本育英会が全国統一試験(一時期は面接のみ)を実施し、対象者を決定する。貸与金額の一部の返還は免除されていた。この時期には、国家を牽引する人材の育成に重きが置かれていた。

奨学金の第1の変化「有利子貸与制度の導入」

1984年に、日本の奨学金制度に第一の変化が起きる。有利子貸与制度の導入である。それまでの特別貸与奨学生制度は廃止され、奨学金は全て貸与型に変化した。また、このとき初めて日本育英会の事業目的に「教育の機会均等に寄与する」という文言が入った。

 

こうした変化の背景には、教育の大衆化がある。発端は、1971年の中央教育審議会答申において学費の「受益者負担」が打ち出されたことだ。それ以降、私立大学の学費が上がり、「公私格差是正」を理由に国公立大学の学費も値上げされた。そうした社会環境の変化を踏まえ、1982年、中曽根内閣が第二次臨時行政調査会の答申で「外部資金の導入による有利子制度への転換,返還免除制度の廃止」を明記した。

 

この有利子貸与制度は、財政投融資を基盤に運営され、一般会計を財源とする無利子貸与制度とは区別されていた。まさに「小さな政府」を進める政府の方針が制度に現れた一例と言えるだろう。

 

奨学金に第2の変化「きぼう21プランの導入」

その後、有利子貸与制度の貸し出し枠は、大学院・専修学校専門過程へと拡大され、1998年には教育職への返還免除制度も廃止された。

 

この有利子貸与制度を拡大を強く促したのが、「きぼう21プラン」の導入だった。有利子貸与奨学金の採用基準が緩和されると同時に、貸与人数の大幅な拡大が図られた。その変化は、日本育英会に対する政府の財政投融資額の変化を見ると一目瞭然だ。1998年には498億円だったのに対し、1999年には1262億円と、1年で約2.5倍にまで増加した。貸し出し人数も、27251人から91062人へと飛躍的に増加した。

 

2001年には、行政改革の波の中で、日本育英会の改組が議論されるようになり、2004年には現在の日本学生支援機構へと改組する。この時に、研究職に対する返還免除制度も廃止された。2007年には民間資金の導入も開始。1998年から2013年の15年間に、有利子の貸与人数は9.3倍、事業費は14倍にまで拡大した。事業の中心が有利子へと移行したことがわかるだろう。

 

なお現在まで、政府の負担増を背景に、世界各国も「給付」から「貸与」への制度変更を加速させている。その点では、日本の改革は世界を先取りしていたとも言える。

 

貸与型奨学金に浮かび上がる課題

しかし、こうした大胆な改革からは、ひずみも生じていった。最も大きな問題は「奨学金滞納」だ。有利子型の未返還率は1991年の6.7%から、2009年の14.8%へと大きく拡大した(ただし2002年ごろからはほぼ横ばい)。こうした問題に対し、2009年には3ヶ月以上の滞納者を信用情報に登録することが認められ、さらに9ヶ月以上の滞納者には一括支払を求める支払催促を送付するなど、改善策が図られてきた。しかし、当月の貸与分も返還できない学生が、一括支払に対応できるはずもなく、課題の抜本的な解決には至っていない。

 

さらに、近年の学生を取り巻く環境は厳しさを増している。大学の授業料は上昇し、私立学校の入学者の9割以上が入学時の費用負担を「重い」と感じている、といった調査結果もある。その結果、奨学金TA(ティーチングアシスタント)など、何らかの形で学費負担の軽減支援を活用する学生は増加している。その傾向は、低所得層だけでなく、中間層にまで広がっている。

 

奨学金に「第3の変化」が始まっている

こうした環境変化を受けて、現在政府では奨学金制度の抜本的な改革に着手している。今年10月には、無利子貸与制度の成績基準が撤廃され、制度の拡充が行われた。来年からは給付型奨学金も一部学生を対象に先行導入される予定だ。また、滞納問題にも対処するため、同じく来年からは新所得連動返還型制度も導入される。2012年から返還の猶予が認められていたが、本人の返還能力に合わせて返還額を下げる制度も追加される模様だ。

 

 

おわりに

「子どもの貧困」が取り上げられるようになって久しい。高齢者向け福祉負担が増加する中、日本の未来への前向きな投資として、奨学金が果たす役割は大きい。政治の大きな仕事のひとつは、将来に希望が持てる環境を整えることだ。今後も政府には、若い世代を応援するような政策の実現に期待したい。